津軽弁訛りの行政書士さんのブログ

年は、昭和26年生まれ、うさぎ年の66歳になります。その年は、行政書士法が生まれた年でもあります。そして第一回目の、NHK紅白歌合戦が始まった年だそうです。昭和45年、18歳の年で、青森県警察の門をくぐりました。その年は、大阪で万国博覧会が開催され、歌では、黒猫のタンゴが流行った年でした。警察人生では、むつ警察署、青森警察署、八戸警察署、警察本部捜査第一課、そして最後、警察本部刑事企画課で勤務し42年間のうち40年間を波乱万丈の刑事畑で働かせて頂きました。その次の日、平成24年4月から、環境管理専門員として勤務し、管内の大半の産業廃棄物処理事業所等に職員と立ち入り適正処理の助言・指導を行ってきて、廃棄物行政の重要性を学ばせていただき平成29年4月に5年間の勤務を退職しました。
そして2017年6月1日付で、47年間の集大成として、皆様に、少しでもお役に立てればとの思いで、「千島行政書士事務所」と「千島コンサルタント事務所」の設立に至りました。
私のモットーは、誠実に生きること・道徳と遵法精神を尊重(コンプライアンス)すること、死ぬまで向学・向上の心を大事にすること、そして生涯現役でピンピンコロリです。趣味は、囲碁と家庭菜園と津軽民謡歌唱を楽しんでいます。皆さんも、ボケ防止に囲碁と腹から声を出し健康にいい津軽民謡に興味を持っていただければいいと思いますよ。津軽民謡は津軽弁の訛りが大事なんですよ。そのうち、皆さんに聞かせるかも?

3/11で震災から7年に&孫救出

娘家族が、福島の原発事故の発生で仙台市から避難してきてからもう7年になります。
福島の原発事故で我が家族の生活も一変しました。
地震津波の震災では、避難を勧めませんでしたが、放射能に孫が襲われるのは、我が身を犠牲にしても守ってあげようと3/16に、夢中で家内と二人で、青森駅始発の日本海周りの列車へ乗り込んだのです。車掌さんには、「仙台までは絶対行けませんよ。」と言われたものです。
私なりに、青森市から仙台までの潜入可能ルートの情報収集と分析しての救出保護奪還作戦でした。
仙台市は、まるで戦場のような光景でした。

次の朝にバスを待つ行列

現在10歳になった孫(当時3歳)
その夕方のうちに仙台市中野栄の娘家へ到着して翌朝に仙台市を脱出して夕方に我が家へ、娘と3歳と1歳の孫、娘の旦那は仕事の都合で残留することになりました。
仙台からバスに乗り込むときは戦時の疎開の光景でした。
震災直後ですべてのインフラ機能がマヒしている時点で仙台市へしかも次の日に戻ってくれたものだと我が夫婦を褒めています。
そんなことで、震災というよりも原発事故で娘家族と我が夫婦の生活が一変したことになります。プラスに考えるようにしています。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではいけませんよ。防災には注意しましょうね。
明日は寒くなるようです。
今日は、家系図作成の依頼がありました。依頼をうけてみて、私の年代になれば子孫に残すことが大事でよね。と、必要性を感じました。
時間がかかると思いますが、丁寧に調査完結してあげなければと思います。
へばね